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散歩会 参加レポート 2022(令和4 )

 
 
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第1回 2022年10月8日(土) 巣鴨・駒込界隈コース

JR山の手線「巣鴨駅」改札前集合(PM1:00) → 染井霊園(高村光雲・光太郎・智恵子墓、岡倉天心墓、二葉亭四迷墓、水原秋桜子墓) → 慈眼寺(芥川龍之介墓、谷崎潤一郎分骨墓、司馬江漢墓) → 本妙寺(明暦の大火慰霊碑、久世大和守墓、歴代本因坊墓、遠山金四郎墓) → 高岩寺〈とげ抜き地蔵〉 → 真性寺(江戸六地蔵) → 染井吉野の碑(染井さくら発祥地) → 徳川慶喜旧屋敷跡 → 六義園(川越藩主柳沢吉保邸の回遊式築山泉水庭園 → JR山の手線・地下鉄南北線「駒込駅」

レポート

コロナウイルスにて中止が重なり3年ぶりの開催。巣鴨駅に何人集まるか気がかりであったが、17人の参加をいただいた。私(橋)が理事長になって初めての散歩会。要領もわからず、まずは、いざ、出発。
目指すは染井霊園。私事ではあるが、田舎の両親が他界し、その墓のデザインを考え中。柄にもなく今回は墓のデザインの勉強も企てての参加である。

巣鴨駅から染井霊園に向かう染井霊園の門染井霊園に入り散策

まずは高村光雲・光太郎・智恵子墓。光雲はあのサルの木彫の大家。光太郎は道程「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る・・・」詩人、いやいや彫刻家。最近、田舎に帰ることも多く、隣町・花巻に智恵子亡き後、7年住んだという高村荘を見に行ったが、これが雪が布団に積もりそうな相当のボロ小屋。雪深いところだから想像を絶する世界だ。それから十和田湖畔の乙女の像を制作するのだから・・・相当な胆力。さてその墓は、やはり赤みがかった(万成か?)石に、基壇のしっかりした堂々たる造形。

岡倉天心。改めて調べると、「茶の本」、「廃仏毀釈」から救った人、横山大観などを育てた美術思想家ですか。墓はどれだ!これも調べてみると奥の五輪塔はご両親の墓、一番手前で基壇のみに見えるのが天心の墓。道教風?のデザインで、基壇の上に土饅頭になってたとか(参考岡倉覚三(天心)の墓 )。五浦海岸(現・茨城県北茨城市))の分骨の墓は土饅頭だから、それを想像し納得。

二葉亭四迷墓。早稲田での高校の国語教師が、「くたばってしめえ」からこの名がついたと、いうのを思い出していたが、正に案内の滝山先生もそう解説、思わずクスッ(笑)。滝山先生によると一昔前はこの墓に一番花が多かったとか。黒々とした記念碑風の墓。水原秋桜子。ひときわ広い墓地区画に背は低いがドーンとした墓石が2基。野暮な私には、俳人かぐらいで・・・改めて調べると、代々の産婦人科の家に生まれ、本人は東大の医者で宮内省侍医寮御用係。奥様の家系も素晴らしく、この墓の堂々たる納得です。

高村光雲・光太郎・智恵子墓岡倉天心墓二葉亭四迷墓水原秋桜子墓

さて、ソメイヨシノの木々の下の染井霊園の案内を見て、専修院は染井の植木職人と縁の深く、泰宗寺も有名な武家の墓を移したもの、との説明を聞きながら、霊園を後にし慈眼寺に向かう。

染井霊園の案内図染井霊園の桜の木専修院泰宗寺

芥川龍之介墓。滝山先生から墓石の頭部に河童の頭の皿をデザインしてある珍しいお墓、とのこと。芥川家な墓の横にその龍之介の墓あり。下世話な私は裏に回り墓の頂部から写真をカシャ。なんと、頂部にあるのは五七桐紋でした。先生!またまた調べてみると「生前に座していた五七桐紋が描かれた座布団が天辺にそのままデザインされている」の説も。改めて先生の解説も読むと「芥川の墓は生前自ら設計したもので、石塔の頂きには紋章が施されている。これが芥川の好んだ河童のお皿に見えるるということで評判になった。」とのこと。私の早とちり聞き間違いだったのですね。確かに、晩年の代表作は「河童」。死の直前の短歌「橋の上ゆ胡瓜なくれは(投ぐれば)水ひひき(響き)すなはち見ゆる禿(かむろ)の頭」。命日には遺族・親交のあった文学者による法要「河童忌」が開かれていた。などを類推すると先生の解説にガッテン。河童のお皿に見えたのは、芥川の暗喩のデザインそもものなのでしょうか。

谷崎潤一郎分骨墓。谷崎夫妻の墓は京都の法然院。谷崎家代々のこの墓に分骨とのこと。芥川との近くの墓で、あの世でも「文学の美学論争」してるって深読みする人もいます。(芥川vs.谷崎論争) 司馬江漢墓。 司馬江漢は知ってるようで知らなかった。蘭学者・絵師・銅版画家の始祖。

芥川龍之介墓芥川龍之介墓の頂部谷崎潤一郎分骨墓司馬江漢墓

さて本妙寺へ。ここからは端折って、幕府老中久世大和守墓、以後の歴代本因坊墓。これらは何台もの墓だから何基も並んで、とにかく広い立派。剣豪千葉周作の墓。黒くて、上の乗った屋根の形も、切れてるねー。遠山金四郎墓。五輪塔と自然石の墓石もどこか砕けていて、べらんめい調。エーイ、テレビ見過ぎで先入観ありすぎ。この寺の最後は、本堂横にある明暦の大火慰霊碑。江戸の6割が消失、10万8千人が焼死。ちなみに東京大空襲死者10万5400人。すごいですねー、火の用心。

本妙寺久世大和守墓歴代本因坊墓千葉周作の墓遠山金四郎墓明暦の大火慰霊碑

ようやく、お墓巡りを脱出。とげぬき地蔵へ。集合写真撮影。その横の大きな東京六地蔵も拝んで、六義園へ。

高岩寺〈とげ抜き地蔵〉での集合写真真性寺(江戸六地蔵)高岩寺〈とげ抜き地蔵〉山門

いやいや、その前に、巣鴨駅すぐ横のソメイヨシノ発祥の地の碑。思い出しました!上野から山手線沿いに道灌山・飛鳥山は江戸の最大のさくらの名所だった!確か染井巣鴨は江戸の花卉センターだったと。学生のとき読んだ「東京の原風景 | 川添 登(手元のはNHKブックス、今は、ちくま文芸文庫により再販)」 を読み返すと、中山道を尾根とする東大前からこの辺までを本郷台地といい、その東側(染井側) はつつじ、西側(巣鴨側)は菊の産地としてだったようでです。これを考えると、染井の専修院、とげぬき地蔵の位置関係もなんとなく理解できそうです。江戸は「庭園モザイック都市」だった!興味のある方は是非ご一読を。 徳川慶喜屋敷跡、なんと道端の碑のみ。六義園へ。

染井吉野の碑(染井さくら発祥地)徳川慶喜旧屋敷跡

六義園到着。参加者不足で団体割引かなわず、でも、皆さん入場いただきました。見どころは、和歌に造詣の深い殿が、各所に和歌にうたわれた景色を再現した、文学の庭とのこと。庭園職員の方に、集合写真スポットを聞いて、和歌の浦妹背山と出汐湊(でしおのみなと)を借景に撮影。

いもせ山 中に生(はえ)たる 玉ざさの
一よのへだて さもぞ 露けき
(藤原信実 新撰和歌六帖)

和歌の浦に 月の出汐の さすままに
よるなくたづの こゑぞさびしき
(信実朝臣 新六帖)

とは、出てきませーん。30分自由に園内散策となりましたが、元理事長の服部さんと話し込んでそのまま最後の集合。15:30ごろ、2回目開催を確認して解散となりました。 お疲れさまでした。

(レポート文2023.1.7作成・写真撮影 橋 寛)

六義園(川越藩主柳沢吉保邸の回遊式築山泉水庭園)での集合写真

 

 
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第2回 2022年11月12日(土) 神奈川県大磯界隈コース

東海道線「大磯駅」改札前集合(PM1:00) → 地福寺(島崎藤村墓) → 鴫立庵「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ 西行法師」(有料) → 島崎藤村旧宅 → 旧東海道松並木 → 伊藤博文邸跡(滄浪閣) → 旧吉田茂邸(庭園見学無料、邸内見学有料) → 城山公園(大磯町郷土資料館) → 東海道線「大磯駅」

レポート

今回はピックニック気分で、大磯。電車が遅れ、心配したが私は時間前に到着。余裕で、ホームで大磯の空気を楽しみながら、改札へ滝山先生、数人の方はすでに到着していました。電車の遅れもあって、この時点で16人の参加で、10分遅れの出発。その前に、ちょっとレトロな大磯の駅舎の前で記念撮影。

島崎藤村の墓を目指し、駅広場左手の、洋館レストランの横の細い坂道を下りてゆく。流石大磯、マンホールもデザインされていると建築探偵団さながら写真を撮っていると、もう、地福寺到着。
山門をくぐると、きれいな梅林が広がる。
その左手に島崎藤村の墓。朝の逆光の太陽の中に、輝いていた。おっと、そういえば、不覚にも忘れていた、谷口吉郎設計の墓であった。墓の建築家による設計を調べだしたとき最初に検索されたのがこの墓であり、谷口吉郎は竹橋の東京国立近代美術館、上野の東京国立博物館正面右手の東洋館などを設計した大建築家。ここで実際に見るとは。調べた写真では、細い折れそうな墓石に、日陰に立つ墓は、理解に難しかった。しかし、苔むした石垣を背景として、梅の老木の中、大磯の柔らかなに日差しという環境に佇むシンメトリーの造形。一挙にデザインが理解できたように思えた。
と、個人的に感動していたが、先は長い。次へ次へ。我が国最初の大磯海水浴場入口、新島襄終焉の知の碑をチェック。おやおや、わが上高会の反対方向にゼッケンを付けて歩く人がいる。話を聞くと「東京エクストリームウォーク100」というイベントとのこと。小田原城址公園から 有明ガーデンまで100qを歩く。短いコースもあって 湘南海岸公園 クラゲ広場まで 34qコースも。頑張って!
次は、鴫立庵。「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ 西行法師」の短歌がうたわれてであろう地に江戸時代に立てられたとのこと。六義園に続き短歌攻め。あー、理解はあきらめ、小川と木陰の涼しさに少し休憩で次へ。ここで、電車が遅れたけど、追いついたと、参加者1人合流。良く見つけれれました、素晴らしい。参加者17人です。
大きな通りから住宅街の路地に入り島崎藤村旧宅に到着。これが小さなお宅。島崎が気に入って購入されたとのこと。8畳一間の居間と、書斎4畳半、和室6畳。本来はこれくらいで十分なのでしょうか。ただ、8畳を取りまくの広縁1間と広く畳敷きで、気持ちよさそうです。書斎は今受付となっていて、その書斎には妻が書いたとされる「明月」の書。本物はこれから行く資料館にあるという。さらに、受付の方が説明するには、藤村は、『庭を見ながら、「涼しい風だね」と、涼風が過ぎ、もう一度「涼しい風だね」と』それが最後の言葉だったという。確かに広い広縁のある居間はそう感じられるし、大磯の空気を大変気に入っていたのであろう。
もう一つ、私には腑に落ちた事がある。戻るがあの墓石の細さだ。藤村の墓を調べると中山道馬篭宿の永昌寺にも島崎家代々の墓があり、分骨として遺髪・遺爪が埋葬され墓があるという。写真を見ると、それれらの墓石も細い。墓石の永続性という機能を考えればむしろどっしり太いのが当然であるが、馬篭の代々の墓と比べても、谷口設計の墓は、細く白い。 きっと「涼しい風」を墓石の細く白い造形にゆだねたとすると、なるほどと腑に落ちた。
藤村の好きな書「名月」の夜、敷き詰められた白い小石に月明かりが反射し、梅林と心地よい風に吹かれる細く白い墓石を想像しよう。「花、風月」忘れられた日本がここにあるように思える。と、ついつい建築デザイン論になってしまった。
次は、邸宅群まで少し歩き。と、東海道に戻る。おー、見たことのある松並木、小田原まで18キロ。そうだ、箱根駅伝、4区、7区。実は、これを書いてるのは2023年1月9日。確かにテレビで、確認。それにしても、松並木の末もデカい。
明治記念大磯邸園到着。その前に、これって全部古河電工大磯荘だったんですね。東京にもバラと洋館の古河庭園がありますが、古河財閥恐るべし。ただ、この明治記念大磯邸園整備中で、陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸は非公開。旧大隈重信別邸・旧古河別邸は工事中で外から改修工事を見学。ジャッキアップの改修工事の方法を見学する感じになってしまいました。実は、コロナ前の滝山先生の視察ではまだ見れたとか、残念でした。実は、ここは邸園の半分で、もう半分は未整備で未公開。一応、公開部分を出て、未公開の方へ向かう。
邸園公開部分と非公開部分には大きなマンションが建っていて、慌てて国や大磯町がこの邸園を計画したのかと勘ぐりをいれながら、工事用のフェンスで囲まれた旧滄浪閣(伊藤博文邸跡・旧李王家別邸)の横を通り、西園寺公望邸の入口へ。とはいえ、こちらも、工事用のフェンスで囲まれている。 西園寺公望邸の方がな、サリーちゃんや死神博士の住んでいる洋館らしいデザインだ。ここで、またまた調べたら曽根中条設計事務所設計で、大きな暖炉があったり、立派なサンルームがあったり、乞うご期待です。ちなみにら曽根中条設計事務所は、東京では日吉の慶応大学図書館の設計者。さて、この非公開の邸宅に挟まれた小道を、海に向かって進む。
海です。秋の柔らかな日差しに輝いています。松林を抜け、国道1号の遊歩道を西へ。椎間板狭窄症の手術を受けながら回復して参加いただいた方も、ストックを付きながら、がんばれー!歩きながら、そういえば数年前、大磯の歴史的家が消失したとのニュースを思い出しながら、随分歩いた後、右に折れ、坂を上り、到着しました。
旧吉田茂邸に到着。入口の門で、さあ、集合写真。

建物内見学は有料。庭園は無料。滝山先生も、建物には興味が無い様で、多くの方は庭園散策。
私は、何でも見てやろう建築家魂で、建物見学。な、なんと、吉田五十八の設計でありました。上野の日本芸術院会館、外務省飯倉公館などが身近な建物ですが、なんといっても、数寄屋の大家。数寄屋といえば、堀口捨巳、村野藤吾、吉田五十八の3人とされており、その一人です。数寄屋は、料亭、個人宅がほとんどですから、再建とはいえ見れてラッキー。

順路通り見学しましたが、私なりの見どころをまとめると。玄関ホールの光庭。大きなガラス1枚のようなディティール、外側の現代素材のアルミルーバー。この玄関ホールの照明も当時デザインされたものとのこと。1階の食堂の壁はなんと赤い革の布団張り。2階の居間は、椅子生活の視線を考えた少し高い床の間で、完璧な書院 の構成。となりの寝室に入ると、天井は、なんと、銀色。政策を考え、そして死を迎える時どんな思いで、この銀天井を眺めたのかと思う。最後、玄関に戻ると、白い石の壁、木の天井、下地窓とそれらのコンポジッション(構成)とディティール(細部)の吉田らしい造形。日本的数寄屋とモダンの融合を満喫して、戻る。

ところが、ここで、終わりではなかった。城山公園の山を登り、山の上の、大磯町郷土資料館へ。ストックで参加の方も何とか来ていただきました。大磯町郷土資料館では、常設展示を見て、改めて別荘を構えて人々のすごさを知り、ちょうど島崎藤村の企画展も開催されており、今日の見学コースの復習みたいな感じに。
出るころには、山影のせいもあり、もう暗い感じとなっていました。広場を散策していると、なんと、国宝茶室「如庵」の跡地であった。「如庵」は、転々と移設されてことでも有名で、重要文化財に指定されたのち第二次世界大戦の戦火を逃れるため、三井がここに移したとのこと。そうだよね、ここは三井の別荘でした。1972年に今の犬山市に移設されている。

さて、急いで家路に。駅までは遠いので、バスに乗り組ろ歩き組に分かれて、大磯駅まで。歩き組は、17時5分大磯駅着。日はとっぷり暮れ、大磯駅の看板が煌々と光っていました。皆さん、お疲れさまでした。
レポートは、私趣味の建築レポートとなってしまいましたが、途中、滝山先生の参考資料を熟読しながら、さらに熱心にノートにメモされている方もいらっしゃいました。それぞれの楽しみ方で、またご参加のほど。
(レポート文2023.1.9作成・写真撮影 橋 寛)

 
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第3回 2022年12月3日(土) 田園調布・多摩川古墳群界隈コース

東急多摩川線・目黒線「田園調布駅」改札前集合(PM1:00) → 蓬莱公園 → 蓬莱山古墳(大型前方後円墳) → 多摩川台公園古墳群(8基の古墳) → 旧巨人軍多摩川グランド(多摩川台公園から展望) → 古墳展示室 → 亀甲山古墳(大型前方後円墳) → 多摩川浅間神社 → 大田区内最古のトンネル → 六郷用水遊歩道 → 東光院 → 丸子の渡跡の碑 →  東急多摩川線「沼部駅」

準備中

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